中原邸見学報告
中原邸見学会報告
はじめに
- 中原先生は1985年東京家政学院大学に着任、1999年退職され、2008年7月5日逝去されました。享年79歳。
- 東京家政学院で同窓生の永山スミ先生から連絡があり、平成24年3月で自邸取壊しの情報が入りました。この自邸は中原先生の住宅設計活動における代表作であるので保存することが望ましいわけですが、借地であるため対応が難しく、現在も取壊し予定の3月を超えて対処方法の模索が続いている。
- 現在の建物の所有者はご親戚ですが、横浜に住んでおられるため、常にこの建物を管理することが難しく、体調も優れず近々名古屋への転居をお考えということで、この度見学会を企画した。
中原暢子先生略歴
- 1948年 東京家政学院卒業、労働省婦人少年局に勤務
石本喜久治氏の勧めで建築学科へ進学を決意 - 1950年 武蔵工業大学短期大学部建築学科入学
- 1952年 武蔵工業大学短期大学部建築学科卒業
東京大学生産技術研究所の研究生となる。
いわゆる池辺陽研究室
研究テーマは「立体最小限住宅の設計」T型平面のNo.20の設計に携わる。 - 1955年 広瀬鎌二建築研究所に勤務
- 1957年 女性初の一級建築士資格を取得
- 1958年 林雅子、山田初江と共に「林・山田・中原設計同人」建築設計事務所を設立
- 1985年 東京家政学院大学住居学科に着任
- 1999年 同大学定年退職
- 2008年7月5日逝去、享年79歳
主な設計作品 中原暢子の木造住宅設計図集より
- K氏別邸 1964
- O氏邸 1964
- 扇形の家/Ta氏邸 1968
- Y氏邸 1972
- M氏別邸 1972
木造2階建 - 千葉の家・N氏別邸 1981
混構造 - 茶室のある家 1985
主な研究業績
- 中原暢子邸を題材とした住宅と茶室に関する一連の研究
中原邸について
- 住宅建築家の作品と設計方法の展開
若い頃設計した住宅が建築ジャーナリズムに取り上げられその地位を確立した建築家の住宅設計の方法や作品が、その後どのように変化、成熟していったかは、住宅を建築としてではなく、住宅そのもののあり方を考えるものにとって興味深いところである。
しかし、その活動が継続的にジャーナリズムに取り上げられることは稀であり、したがって我々がその過程を深く理解する機会も極めて少ない。中原邸見学はこの稀有な機会であった。 - 茶道と中原邸
中原先生は、設計を始めた当初から茶室の設計に巡り会ったと話されているが、この中原邸によって茶道と住宅設計が本格的に統合され、中原暢子流の茶室・住宅の設計が完成した。建築だけでなく集められた道具や中原作の彫刻、仏像、道具等から先生の生活すること全体に対する考え方がうかがえる。 - 中原邸と池辺陽、広瀬鎌二の影響
池辺陽の下で学んだ考え方が、この設計に置いても流れている。不思議な納まりや材料の選択、そして設計に散見される思い切りの良さ。難波和彦著「戦後モダニズム建築の極北 池辺陽試論」を参照するとよく理解できる美意識。 - 中原暢子と設計同人
林雅子、山田初江と共同で事務所を運営する中で、共通の考え方と独自の展開が確認できる。茶道の考え方が細部に展開される。一見同じに見てしまう林雅子氏との違いが理解できる。 - 中原邸以降の設計活動
中原邸設計以降の設計方法の転換。5〜6作品がある。非常に興味深い。 - 中原暢子先生の設計図書は全て保存されているが、本学で整理の上、保管の予定。